最近の人は、なぜ、「そうっす」という言い方を使うのですか?

それは、私たちが好む人間関係の形が変化してきているからです。私たちは、ことばを使って、話している相手との関係を表現します。ことばが変化しているということは、ことばの使い方を変えることで、話している相手との関係を調整しているということです。「そうっす」が使われるようになった理由の一つは、相手に対して丁寧に話したいけれども、親しさも表現したいときがあるからだと考えられます。
もちろん、私たちと話し相手との関係は、すでに決まっている場合がほとんどです。先輩と話すときには、すでに上下関係があるので、先輩には「そうです」のような丁寧な言葉づかいをします。けれども、「そうっす」がもっとも使われるのも、後輩から先輩に対してなのです。では、後輩は、先輩とのどのような関係を表現するために「そうっす」を使うのでしょうか?
「そうっす」の「っす」は、「そうです」の「です」を短くした言い方です。文末表現には、「です・ます」の「丁寧体」と「だ」の「普通体」があり、「丁寧体」の方が、話している相手に対する〈敬意〉を表現します。たとえば、「今、何時ですか?」と聞かれたとき、次の(1)と(2)は、同じ〈八時〉という情報を伝えていても、(1)の方が話している相手に〈敬意〉を表現しています。
「です」と「ます」の違いは、「です」は(1)のように名詞(「八時」)につくことが多いのですが、「ます」は(3)のように動詞(「行く」)につく点です。
(4)には「だ」が付いていませんが、(4)も普通体です。ですから、(3)は(4)よりも、話している相手に〈敬意〉を表していることになります。(3)のような「ます」を「っす」にするときには、「行きます」→「行くのです」→「行くっす」と、一度「です」にしてから「っす」に変換されます。このような複雑な変換を瞬時に行っている「っす」の話し手は、すごいですね。
「丁寧体」の方が、話している相手に対する〈敬意〉を表現するのならば、後輩は、先輩にずっと「です」で話せば良いことになります。〈敬意〉を表現することで、先輩は自分よりも〈上〉であること、つまり、相手との「上下関係」を示し続けるのです。実際、私が「そうっす」に気づき始めた1990年代までは、後輩は先輩に「です・ます」で話していました。
しかし、人間関係には、「上下関係」に加えて、相手との距離という側面、つまり「親疎関係」があります。親疎関係の点から言うと、先輩に「です」で話し続けると、先輩との遠い距離を表現してしまいます。いわゆる「壁がある」関係です。〈敬意〉は表現したいけれども、先輩に「いつまでも、なじめない奴だ」とは思われたくない。
そんな後輩たちが工夫した表現が「そうっす」です。「そうっす」は、「丁寧体」の「です」の「す」を含んでいる点で、先輩への〈敬意〉を表現しています。同時に、「です」を「す」と短くして、「っ」という促音も使うことで、〈親しさ〉も表現できます。つまり、「っす」は、「丁寧体」と「普通体」の中間の〈親しい丁寧さ〉を表現しているのです。そこで私は、この言い方を「ス体」と名付けました。

「っす」が、〈敬意〉を表現していることは、実際の使われ方からも明らかです。大学の体育会系クラブに所属している先輩と後輩の男子の会話を調べたところ、先輩は後輩には「っす」を使いませんでした。私が先輩に、「先輩は後輩に「っす」を使わないんだね」と言うと、「あり得ないっす」と、教員の私には「っす」を使って答えました。
若い人たちが、〈親しい丁寧さ〉を表現することができる「ス体」を編み出したということは、私たちが好む人間関係が、上下関係よりも、相手との距離観を大切にしたものに変化しているということです。それは、グローバル化が進む世界で、日本社会が、がちがちの上下関係ではなく、フラットな人間関係から生まれる柔軟な対応を求められていることとも無関係ではないでしょう。
これまで表現しにくかった関係を作り上げることができる「ス体」は、若い男性から始まって、いまや若い女性にも広がっています。また、メディアで使われることで、〈後輩らしさ〉や〈おもしろさ〉、さらに、これまでとは違う〈女らしさ〉や〈男らしさ〉の意味も与えられています。
一方で、日本語の丁寧表現の根幹をなす「です」を変化させることには、抵抗感を持つ人もいます。しかし、「正しいか、間違っているか」という視点ではなく、「新しい表現は人間関係を変化させる」という視点から見ると、「ス体」が微妙な関係をつくりあげるために考案されたことが分かります。
これからも、「ス体」がどのように使われていくのか、それに伴って私たちの関係がどのように変化していくのか、いっしょに注目していきましょう。