ことばの疑問

辞書に載っていない漢字は間違ったものなのでしょうか

2021.08.16 笹原宏之

質問

漢字には、辞書に載っていないものがあるようですが、それらはすべて間違ったものと考えられるのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。

辞書に載っていない漢字

回答

辞書にない漢字でも誤りとは限らない

確かに、ふだん使っている漢字の中には、辞書で探しても見つからないものがあります。その一つが、書いた人が正しい字だと思い込んでいるもので、「常用漢字表」などによる国語施策や、字源についての学説などと一致しない誤字です。例えば、「初」の衣偏を「ネ」のように書く人や、「落」をさんずいに「茖」と書く人がいますが、これらはまず国語辞典の見出し表記や漢和辞典の親字には採用されません。

一方、「第」を「㐧」とするように、狭いスペースに急いで書き込む時などに故意に省略した字体が用いられることがあります。公的に定められた「正字」があることを前提として、社会的な習慣として一部に行われているそのほかの字体は、俗字、略字、書写体などと呼ばれます。「曜」の「𫞂」、「酒」の「酒の異体字」も同様です。映画館で目にする洋画の字幕には、フィルムに焼き付ける際に小さな字が白くつぶれてしまわないように、やむなく「「撃」の異体字。車の下に山」(撃)のたぐいの俗字、略字が用いられることがありました。パソコンや携帯電話の画面などで見られる、点の集合からなるドット文字にも、線を間引いた「鷹(ドット文字)」((たか))のような字形が見られますが、これも正しい形でないと知りながら、点(ドット)の数の不足により意図的に形が変えられたものです。これらも、ほとんど辞書に登録されません。

曜、酒、撃、鷹の例
俗字、略字、書写体などと呼ばれている漢字の例

また、文字自体が実在するにもかかわらず、辞書に掲載されていないケースがあります。日本の例つまり日本製漢字(国字)を挙げると、「𣏒(くるみ)」は地名に今でも使われています。「五月女」を合わせた「𣍲(さおとめ)」も姓に伝わっています。国字は、中国に典拠がないからといって誤りとみなす学者もかつてはいましたが、現在では戸籍や住民基本台帳、土地台帳、書籍などでの使用の蓄積によって、その存在が認められるようになってきました。古文書などに書かれた「ふぶきの異体字(ふぶき)」や、宮沢賢治の詩稿に見られる「鏡の異体字。鏡が4つ」(読みは「かがみ」だと考えられています)も、表現意図が込められた造字であり、このたぐいは過去から現在に至るまで文献上にいくつも見つけられます。

くるみは木偏に丸。さおとめは月偏に上が五、下が女。ふぶきはかぜがまえの中に雪。宮沢賢治の詩稿に見られる字は鏡が上下左右に2つずつ並ぶ。
国字、造字として実在する漢字の例

続けて、漢字の使い方にも触れておきましょう。「()む」という文字列を見たことのある人が多いと思いますが、中国古典にも常用漢字表にもない用法であるため、多くの漢和辞典には「混」の字にこの訓も意味も示されていませんでした。2010年になって、常用漢字の訓読みとして追認されたものです。また、雑誌や若者の携帯メール等に「(へこ)んだ」(気分が落ち込んだ時にも使う)が使われていますが、例えば『大漢和辞典』では「凹」には「くぼむ」という訓しかありません。漢和辞典にも「へこむ」を収録するものが現れましたが、国語辞典では一例として『広辞苑』を見ると初版以来、「へこむ」にこの表記が掲げられているように、互いに扱いに違いが見られます。「お(なか)」もよく見かける表記ですが、漢和辞典や国語辞典で「腹」に「なか」の読みを認めたものは少ないようです。

正誤意識の移ろいと辞書の記述内容

辞書というものは、こうあるべきという規範を示す役割と、社会でこうなっているという一般化した実態を記述する役割を合わせ持っていますが、漢字に関しては後者の記述に十分でない面が見られます。例えば、「シツ・しかる」という音訓をもつ漢字は、漢和辞典によれば口偏に「七」と書くのが字源に沿った本来の字体で、「叱(旁は匕)」は別の字とするものさえありますが、現実には「化」などから類推できる「叱(旁は匕)」の方が多く使われています。辞書が現代日本の慣用に対応していない例でした。これは2010年に常用漢字に追加され、「叱(旁は匕)」と「𠮟(旁は七)」とはデザインの差にすぎなくなり、辞書も対応し始めています。

また実は、漢和辞典はあえて誤字を載せることがあります。「譌字(かじ)」などと称する過去の誤字や、JIS第2水準に間違って採用されてしまった誤字(例えば「鷹」の誤字である「軅」)などです。

漢字も、それに対する人々の意識も、時代とともに変化します。漢字として、何が正しく、何が誤りかという基準や根拠は、国や地域、社会や個人によっても異なることがあります。音声、音韻に比べると、固定的なイメージが抱かれがちな漢字ですが、実際には人為的な改変が加えられやすい対象であり、個々の字について何をもって正しいものとするかは、辞書によっても判断が分かれます。一冊の辞書ですぐに正誤の判断を下すのではなく、さらに複数の辞書に当たってみて、それらを材料として、考えてみるのがよいのではないでしょうか。

(笹原宏之)

書いた人

笹原 宏之

笹原宏之

SASAHARA Hiroyuki
ささはら ひろゆき●早稲田大学 社会科学総合学術院 教授
1965年東京生。博士(文学)(早稲田大学)。国立国語研究所 主任研究官等を経て、現職(2015年早稲田大学ティーチングアワード受賞)。専門は日本語学(文字・表記)・漢字学。常用漢字、人名用漢字、JIS漢字、『新明解国語辞典』、教科書、『日本語学』、NHK放送用語の委員なども務める。著書に『日本の漢字』(岩波新書、2006)、『謎の漢字―由来と変遷を調べてみれば』(中公新書、2017)等があり、『国字の位相と展開』(三省堂、2007)により金田一京助博士記念賞、白川静記念東洋文字文化賞。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 笹原宏之(2017)『謎の漢字』 中央公論新社
  • 漢字にまつわるいろいろ「稀少地名漢字リスト」(http://pyrite.s54.xrea.com/timei/