ことばの疑問

「稲妻」は「いなずま」ですか、それとも「いなづま」ですか

2021.10.13 宇佐美洋

質問

「稲妻」は「いなずま」ですか、それとも「いなづま」ですか。漢字を見ると「いなづま」が正しいように思えますが。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。

稲妻はいな「ず」まですか?いな「づ」まですか?

回答

原則的には「ず」を使用

現代日本語のほとんどの方言では「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」は完全に同音です。したがって表記の際には、原則として「ず」「じ」を使用し、「づ」「ぢ」は使わないことになっています。昭和61(1986)年の「現代仮名遣い」に関する内閣告示第1号によれば、「稲妻」もこの原則に従って「いなずま」と書く、とされています。

一方、「つ」「ち」で始まる語の前に別の語が付いて新しい語を作る際、「連濁」(2語目の最初の清音が濁音化すること)が起こる場合には、元の語の表記を生かし「づ」「ぢ」を使用することになっています。例えば、

「一本」+「釣り(つり)」→「いっぽんづり」
「鼻」+「血(ち)」→「はなぢ」

などがその例です。

「稲妻」は、語源を考えるとこれらと同類であると言えなくもありません。日本には古来、「稲と雷とが交わることで稲穂が実る」という考え方がありました。文字どおり、「いね」の「つま」だから「いなづま」なのです。そうすると「いなづま」と書いた方がいいという考え方も、理由がないことではありません。

稲妻の語源

「語構成」の明瞭めいりょう

では、「一本釣り」は「いっぽんり」なのに、「稲妻」は「いなま」となっているのはなぜでしょうか。それは、現代日本語として「語構成」がどの程度はっきりしているか、という判断によります。

「一本釣り」は「一本ずつ釣ること」、「鼻血」は「鼻から出る血」のことです。ですから「いっぽんづり」を「いっぽん + つり」に、「はなぢ」を「はな + ち」に分解することは非常にたやすいことです。このような語の場合、「語構成」は極めて明瞭である、ということができます。

一方「稲妻」はどうでしょう。「稲と雷とが交わることで稲穂が実る」という古い信仰は、現代の日本人にとって決してなじみの深いものではありません。特別な知識がなければ、「稲妻」の「稲」と「妻」がどういう関係にあるのか、非常に分かりにくいのではないでしょうか。こういう場合、「いね + つま」という語構成は必ずしも明瞭であるとはいえません。そこでこれ全体で不可分の1 語と考え、冒頭に挙げた原則どおり「ず」を用いて「いなずま」と表記することにしているのです。

語構成の明瞭さ

「語構成」に対する意識は人によって違う

しかしこのようにいうと、「いや、自分にとって『稲妻』が『いね + つま』であることは、漢字表記からいって明らかなことで、『いなずま』という表記にはどうしても違和感がある」という反論もあることでしょう。

それはまさにもっともな反論です。そもそも、「語構成が明瞭かどうか」という判断自体幅のあるものですので、「明瞭か不明瞭か」という一線がきっちりと引けるものではありません。「語源」をどの程度重視すべきか、という考え方も、人によって大きく異なることでしょう。

このように、「いなずま」・「いなづま」、いずれの表記にもそれなりの理があり、どちらがより正しいとはっきり言い切れるものではありません。ことばの世界にこのようなことは、実はときどきあるのです。

語構成が明瞭かどうか、「語源」をどの程度重視すべきかは人によって大きく異なる。「いなずま」・「いなづま」どちらがより正しいとはっきり言い切れない

実は内閣告示でも、「稲妻」は「いなずま」と書くのを本則としながらも、「いなづま」と「書くこともできるものとする」、と明記されています。このような語にはほかに、「さかずき ← 酒(さけ) + 杯(つき)」「くんずほぐれつ ← くみつほぐれつ」などがあります。

(宇佐美 洋)

書いた人

宇佐美洋

USAMI Yo
うさみ よう●東京大学大学院 総合文化研究科 言語情報科学専攻 教授。
「何が『正しい日本語』なのか」ではなく、「なぜひとはそれを『正しい』と感じるのか」、「そもそも『正しい』とはどういうことなのか」ということに関心があります。多くの人が、様々な「正しさ」のありように気づき、ことばについての自分とは異なる価値観も受け入れられるようになるためにはどうすればいいかについて考えています。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 国語研究会 監修(2001)『 [第6次改訂] 現行の国語表記の基準』ぎょうせい