ホテルの「スイート・ルーム」の「スイート」というのは〈甘い〉という意味で、新婚旅行でよく使われるからそう言うのだと思っていましたが、先日英語に詳しい友人から「それは間違いだ」と言われました。本当なのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
それはその友人の言うとおり間違いです。「スイート・ルーム」は本来の英語では sweet-room ではなく suite-room とつづります。この suite とは〈ひと続きの〉という意味です。寝室と居間など、二つ以上の部屋がひとまとまりになっているタイプの客室を指します。これが sweet‐room と解釈されてしまう背景には、外来語として使われる「スイート」は「スイート・ポテト」「スイート・コーン」「スイート・ホーム」など sweet〈甘い〉である場合が多いこと、さらに質問文にもあるとおり新婚旅行などでカップルがよく泊まることが考えられます(なお sweet と suite は英語でも発音は同じです)。
このようにある語の語源を本来の語源とは違うように解釈してしまうことを、言語学では「民間語源(説)」「語源俗解」などと呼びます。子供のころによくある、「カレーライス」は「辛えライス」なのだと思ったり、「すき焼き」はみんなが「好き」だからそう言うのだと思ったりする(本来「すき」は農具の鋤で、この上で調理をしたことからこの名前がついたと言われています)のも、その一種です。
しかし中には、大人も含めて大多数の人が語源を本来のものとは違うように考えている語もあります。
刑事もののドラマや映画などで、「あいつはムショ帰りだ」「ムショに三年行った」といったセリフがよく使われます。この「ムショ」の語源は何か、調べてみましょう。
こう言われたら、「そんなの『ケイムショ(刑務所)』の略に決まってるじゃないか」と思う人が多いのではないでしょうか。しかし『日本国語大辞典』初版(小学館)には次のようにあります。
ここに見られる『隠語集覧』という本は大正4(1915)年に京都府警察部が発行したものですが、そこには確かに
とあります。「ムショ」は本来は「刑務所」の略ではなかったのです。
しかし今のような「民間語源」はかなり早くからあったようで、昭和10(1935)年に警察協会大阪支部が発行した『隠語構成様式並に其語集』の「むしよ」の項には、次のようにあります。
なお『隠語集覧』『隠語構成様式並に其語集』ともに、「むしよせば」は「六四寄せ場」であり、監獄の食事の飯は麦と米が六対四の割合であることから来ているとしています。
このように、「ムショ」の語源が「刑務所」ではないことは明らかです。ただ、今から80年以上前に刊行された『隠語集覧』に載っている隠語は、「ホシ」(容疑者)や「デカ」(刑事。この語は、当時の私服巡査が角袖の和服を着ていたことから「かくそで」→「でかくそ」→「でか」という過程を経て生まれたと言われています)など少数を除けば我々にはなじみのないものです。その中で「ムショ」が現在に至るまで使われ続けてきた背景には、これを「刑務所」という一般に知られた名称の略語だと考える語源意識があったことも確かです。
「スイート・ルーム」が〈甘い・部屋〉でないことも、「ムショ」が「刑務所」の略でないことも、大型の国語辞典をいくつか調べればわかります。語源というものを考えるにあたっては、たとえ「これが語源だろう」とすぐ思いつくような語であっても、とりあえず辞典を、できれば語源辞典や隠語辞典のような特殊な辞典を引いてみる、という態度が必要だと言えます。
(新野直哉)