船の名前には「丸」という言葉のつくものが多くありますが、この「丸」の由来は何でしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
国土交通省航海訓練所の練習船は「日本丸」「海王丸」「北斗丸」「大成丸」「銀河丸」「青雲丸」と、すべて名前に「まる(丸)」がついています。そのほかにも、横浜・山下公園に係留され、展示されている「氷川丸」など、たしかに、船の名前には「まる(丸)」のつくものが多くあります。
この〝マル〟の語源については、古くから諸説ありますが、いまだ明らかになってはいません。ただ、それらのなかでも、比較的多くの研究者の支持を得ているものに「愛称説」があります。これは、男子の幼名などに用いられる〝マル〟をその起源とするものです。
男子の幼名の〝マル〟は、室町時代から用いられるようになった語ですが、もともとは「まろ(麻呂)」という語で、上代から男子の人名に用いられていました。室町時代ごろに〝マロ〟から〝マル〟へと語形が変わり、主として男子の幼名に用いられるようになりました。さらに、この頃には、楽器、武具など人の名前以外にも用いられています。「愛称説」は、その〝マル〟が船の名前にも用いられるようになったとしています。
以下、「愛称説」で船名の「まる(丸)」の起源とされる〝マル〟という語の歴史(語史)を見ていきましょう。
まず〝マロ〟が人名に使われた例としては、有名な万葉歌人である柿本人麻呂、高橋虫麻呂などがあげられます。そのほかにも、奈良時代の遣唐使で吉備真備らとともに唐に渡った阿倍仲麻呂など数多くあげることができます。
このように人名に多く使われていた〝マロ〟ですが、平安時代になると、人名以外に用いられた例を見いだすことができます。たとえば、『枕草子』(10世紀前後)「うへにさぶらふ御猫は」には、
蔵人忠隆なりなか参りたれば、「この翁丸うち調じて、犬島つかはせ、ただいま」と仰らるれば
とあるように、「おきなまろ」という名前の犬が登場します。そのほか、名前に用いた例ではありませんが、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』(1179頃)には、
茨小木の下にこそ、鼬が笛吹き猿舞で、稲子丸賞で拍子付く
と、〝イナゴ〟に〝マロ〟を付けた〝イナゴマロ〟という例が見られます。これは、〝イナゴ〟に〝マロ〟を付けることによって、親愛の情を表したものです。
室町時代頃には〝マロ〟は〝マル〟へと変化しました。このオ段音からウ段音へという変化は、アカトキ→アカツキ、アトラフ→アツラフなど類例を多くあげることができます。
〝マロ〟から〝マル〟へと変化するとともに、〝マル〟は、おもに幼名に用いられるようになりました。『平治物語』(1220頃か)に、
雪の中に捨てられて、正清は候はぬか。金王丸はなきか。」と召けれどもなかりけり。
(下・頼朝青墓に下著の事)
とあるのがその例です。
〝マル〟は、人名以外にも刀剣、楽器の名前に使われた例も見られます。
この太刀を抜丸と申ゆへは、
(『平治物語』中・侍賢門の軍の事)
上臈の宝ともおぼしめす、てひきまるといふ琴の上に倒れかゝりて、琴をば微塵にそこなひぬ
(『御伽草子』物くさ太郎(室町時代末))
さきに見たように〝マル〟のふるい形〝マロ〟が動物の名前に用いられた例がありました。もともと〝マロ〟が人名以外にも用いられていた例があることから、〝マル〟も人名以外に用いられるようになったものと思われます。
ところで、問題の船の名前に用いた例ですが、もっとも早い例は、室町時代中期以前の成立とされる『義経記』にある、
西国に聞えたる月丸といふ大船に、五百人の勢を取乗せて、財宝を積み、二五疋の馬共立て、四国路を志す(四・義経都落の事)
という例です。室町時代には、船の名前に〝マル〟を使うようになっていたと考えられます。
〝マル〟のおおよその歴史的な変化は、以上のとおりですが、人名に用いられていた〝マル〟が、なぜ、どのように武具や船などの名前に用いられるようになったのかは、現在のところ明らかになってはいません。語の歴史については、文献によって歴史を追うことはできても、変化の理由を明らかにすることがむずかしいばあいも多くあるのです。