「ご苦労様」と「お疲れ様」は結局どう使い分ければよいのでしょうか。

「ご苦労様」と「お疲れ様」は、いずれも、話し手が相手に対して、ねぎらう、いたわる、あるいは、感謝を伝える場合に使う表現です。ですから、意味自体は似ていると言えます。しかし、この両語は、話し手がどこに焦点を当てているかという点に違いがあり、それによって使い分けがなされています。
まず「ご苦労様」ですが、こちらは、相手の仕事の大変さに思いを致して、「とても大変なお仕事ですね(でしたね)」と、ねぎらう表現です。この場合、話し手は相手が取り組んだ「仕事の内容」に焦点を当てています。
いっぽう「お疲れ様」は、相手の心身の消耗(疲れ)に思いを致して、「とても疲れている(疲れた)ことでしょう」と、ねぎらう表現です。この場合、話し手は「相手の心身の状態」に焦点を当てています。

近年、「ご苦労様」の使い方は、「誰から誰に使えるのか」という物差しだけがはめられて、《「ご苦労様」は目下から目上には使えない。その場合には「お疲れ様」を使う》と単純に説明されています。同様の記述が『敬語の指針』(文化審議会答申)やいくつかの国語辞典にも見られることから、この説明はかなり普及しているようです。
ですが、この「目上・目下」による説明は、職場でのコミュニケーションを効率的に行うために、場面や状況を限定して用法を整理した、いわばビジネスルールです。ですから、「ご苦労様」の全ての用法を見渡して説明したものではありません。
そのため、日常では、目上・目下による使い分けでは説明ができない、次の(1)(2)のような用例に出くわします。
(1)は、たとえば、国際会議から帰国した総理大臣に対して報道関係者が「総理、ご苦労様でした」と使う場合です。(2)は、定年退職をする部長に、部下である課長が「長い間、ご苦労様でした」と言う場合などが分かりやすいでしょう。
こうした用例も含めて考えると、「ご苦労様」は、目上・目下にかかわらず、話し手が相手の仕事の大変さを思いやり、ねぎらう場合に使うことができると言えます。
次に、「お疲れ様」の側からも見ておきましょう。この言葉は、相手の「疲れ」(心身の消耗)をねぎらう言葉ですが、疲れは仕事の場合のみならず、娯楽の場合にも生じます。ですから、パーティーなどではしゃいだ後に、「お疲れ様! また明日。」などと言えます。まして日々の仕事に疲れはつきものですから、全員が常に何らかの業務に携わっている職場では、「お疲れ様」は使いやすい言葉と言えるでしょう。
そして、「『お疲れ様でございました』などを用いると」「だれに対しても使える」(『敬語の指針』)などと記されていることから、どのような場面でも使えるかのような錯覚をおこしてしまいがちです。が、やはり、そうではありません。
たとえば、授業をしてくれた先生や、落とした財布を拾ってくれた老人、手術をしてくれた医師など、自分に直接、恩恵や利益をもたらしてくれた相手に対しては、「お疲れ様」とは言いません。相手が自分のことで疲労しているとすれば、まず「有り難うございます」とお礼を言います。
こうした場面では、目下(例えば生徒)から目上(先生)に「お疲れ様」は使いません。これは、先に挙げたビジネスルール《「ご苦労様」は目下から目上には使えない。その場合には「お疲れ様」を使う》には当てはまりません。
そもそも、このビジネスルールは、曲解から始まった迷信です(梅林博人「言葉の迷信と場面の考慮―「ご苦労さま」の用法をめぐって―」に詳述)。「ご苦労様」と「お疲れ様」の使い分けについては、これまで明確に説明する資料がなかったためか、平成になって、にわかにこのルールが広がりました。効率を重視するビジネスの現場では、相手の状況に配慮しながら言葉を使い分けるよりも、使い分けを単純にする方が便利だったからでしょう。しかも昨今では、より単純化が進み、「お疲れ様」は、相手をねぎらうというよりも、単なる挨拶言葉になってしまったようです。
しかし、「お疲れ様」の使用実態から見ても、目上・目下という単調な基準で両語の使い分けを説明することには無理があり、実際にはあてはまらない場面も出てきますので、注意が必要です。
したがって、冒頭で述べたように、「ご苦労様」と「お疲れ様」については、話し手が何に着目して相手をねぎらうのかで使い分けるのが妥当でしょう。
