「故障中」という言い方は文法的に間違っていると聞いたことがあるのですが、本当ですか。私は間違っているとは感じないのですが。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
文法とは、ことばのパターン(規則性)のことです。そして、通常のパターンに合わない言い方は「文法的に間違っている」と言われます。たとえば、日本語学習者が「×着らない」「×おいしいの料理」のような言い方をすれば「誤用」とされますが、それはこの言い方が日本語の通常のパターンに合わないからです。
しかし、通常のパターンに合わない言い方がすべて文法的に間違っているというわけではありません。例えば、「行く」の過去形は「行った」ですが、これは「く」で終わる動詞の通常のパターン(例 : 聞く→聞いた)とは異なります。また、形容動詞が名詞につくときは「静かだ→静かな街」のように「だ」が「な」になりますが、「同じだ」が名詞につくときは「×同じな値段」ではなく、「同じ値段」となります。
人間にいろいろな人間がいるのと同じように、語にもいろいろな語があります。中には、「行く」「同じだ」のように、通常のパターンに合わない例外的なふるまいをする語もあります。通常のパターンとは異なるというだけで、文法的に間違っているわけではありません。文法的に間違っている(いない)というのは、「母語話者がその表現を不自然と感じるかどうか」という問題なのです。
さて、問題の「故障中」ですが、私自身はこの言い方にそれほど不自然さは感じません。しかし、「故障中」という言い方に違和感を覚えたり、不自然だと感じたりする人も少なくないようです(参考文献 : 国広哲弥『日本語誤用・慣用小辞典』)。
このような差が生ずる背景には、「故障中」という言い方が「~中」という表現の典型的な用法から外れているということがあります。
「~中」は「動作を一時的に保つ」ことを表す表現で、典型的には「~し続ける」という言い方が成立するものについて用いられます。
食事中(食事し続ける)、走行中(走行し続ける)、滞在中(滞在し続ける)、開放中(開放し続ける)、停止中(停止し続ける)
「~し続ける」という言い方が成立しない場合でも、人間が主体であり、かつ「いずれ解消される状態を一時的に保つ」という意味が認められれば、「~中」という言い方は、典型的な用法とは言えませんが、比較的成立しやすくなります。
婚約中(結婚までの間、婚約した状態を保つ)(×婚約し続ける)
就寝中(起きるまでの間、就寝した状態を保つ)(×就寝し続ける)
「×死亡中」「×結婚中」のように、「いずれ解消される状態を一時的に保つ」ということが考えにくい場合は、人間が主体であっても、「~中」という言い方は成立しません。
ここで「故障中」について考えてみると、まず「故障」は「×故障し続ける」とは言えません。また、人間が主体ではない点で「婚約中」「就寝中」などとも異なります。つまり、「故障中」という言い方は「~中」の典型的な用法からかなり外れているのであり、「故障中」を不自然に感じる人はこのずれが気になるわけです。
しかし、典型から外れているというだけで「文法的に間違っている」とは言えません。実際、「×死亡中」「×結婚中」などとは異なり、「故障中」には「いずれ解消される状態が一時的に保たれる」という意味は認められるので、「~中」の典型的な用法との共通性は保たれています。「故障中」を特に不自然に感じない人は、典型からのずれよりも、典型との共通性の方をより強く感じているわけです。
「典型的ではないが文法的ではある」と「文法的に間違っている」の差は微妙です。「故障中」の問題はまさにそのような問題なのです。
(井上 優)