外国語にも方言はあるのですか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
方言とは、特定の地域と結びついた言語の下位区分であるわけですから、ある程度以上の歴史と使用人口をもつ言語であれば、方言をもっている可能性は十分にあります。
例えば同じブリテン島(イギリス)の英語であっても、イングランド・スコットランドなど、地域によりさらに細かい違いがあります。また方言とは、決してひとつの国の中だけに存在するものではありません。ブリテン島の英語とアメリカの英語が違うことはみなさんもご承知でしょう。このほかインドの英語・シンガポールの英語・オーストラリアの英語などそれぞれに独自の特徴をもち、ほかとかなりはっきり区別することができます。これらすべて、「英語諸方言」であると言えます。
さきほど、方言は特定の地域と結びついたもの、と書きました。そこで、広い地域で話される言語ほど方言差も大きいように思われるかもしれません。しかし正確に言うと、方言とは、その土地に住む人間の「社会的集団」と結びついたものなのです。
長期間にわたって同一地域に定住し、人の移動があまりおこらないような場合ですと、その土地独自の「社会的集団」が形成され、この結果はっきりした方言差も生まれやすくなります。逆に短期間のうちに大規模な人の移動がおこなわれたような場合は、土地と結びついた「社会的集団」が生まれにくいので、方言の違いも生まれにくくなります。広いアメリカ本土より、狭いブリテン島の方が方言差は大きいのですが、それはこのような事情によっています。
言語としての歴史も長く、かつ広い地域で話されている中国語ともなると、方言の差異も非常に大きくなります。例えば、「私はまずあの人に本を一冊あげます」ということを、北京、広州の方言でそれぞれ表現してみると以下のようになります(声調表記は省略)。
北京方言 : 私 まず 与える 彼 一冊 本
広州方言 : 私 与える 一冊本 彼 まず
それぞれの単語の形がかなり違うだけでなく、語順もかなり異なっています。音だけを聞いたのでは、これらが同じ言語であるとはとうてい思えません。また実際に、広州の人が自分の方言で話したら、北京の人にはほとんど理解できません(北京の方言は中国の標準語となっていますので、広州の人は北京方言を聞けば理解できますが)。
これだけ差が大きくても、北京・広州のことばはそれぞれ独立の「言語」とは考えられず、それぞれ中国語の下位区分である「方言」とされています。その反面、ノルウェー語とスウェーデン語は、一人がノルウェー語で、もう一人がスウェーデン語で話をしても十分に意思疎通が可能な程度に似通っていますが、それでも別々の言語とされ、同一言語の方言同士とは考えられていません。それはなぜでしょう。
実は、方言と言語との違いは、言語学的な要因によって決まるのではなく、それを話す人々の意識によって決まるのです。北京の人と広州の人は、たとえ話は通じなくても、共通の文字と書き言葉をもち、同じ「中国語」という言語を話しているという意識をもっており、こういう場合は「方言同士」という扱いになります。一方ノルウェーの人とスウェーデンの人にはこうした共通意識がないため、別々の言語として扱われるのです。この件については、「世界にはいくつの言語があるのですか」(https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-193)でも述べています。詳細はそちらをご覧ください。