私の住んでいる地域では、小学校の通学範囲のことを「校区」と言います。しかし辞書を見ると、共通語では「学区」と言うようです。町内の人に配るお知らせには、「校区」ではなくて「学区」と書くべきでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
かつては、地域の言葉と共通語とは大きく異なっており、方言だけで生活する人々もたくさんいました。ところが、現代では、共通語が全国へ広まったことや、生活様式が都市化したことなどによって、大体どこの地域でも、方言と共通語は共存していて、人々は双方を使い分けながら生活しています。その共存のありようは、地域によってさまざまですが、方言と共通語を使い分ける大まかな傾向は、どこの地域でもほぼ共通しています。それは、ふだんのうち解けた場面では方言を使い、改まったよそゆきの場面では共通語を使う、というやり方です(尾崎喜光「解説2」、国立国語研究所『新「ことば」シリーズ16 ことばの地域差―方言は今―』)。
現代人は、場面にふさわしい言葉遣いをすることを素養として身につけて生きていると言えます。その素養を豊かにし、言葉遣いを洗練することが、人々の関心事のひとつになっていると言えます。そうした、場面による言葉の使い分けのひとつに、場面の改まり度に応じて、方言と共通語を使い分けることがあげられます。これを上手に行うには、場面の改まり度を的確に判断して、それにふさわしい言葉を選択するセンスが求められることになります。
まず場面についてですが、仲間内でのおしゃべりや、友達や家族への手紙などは、もっともうち解けた場面です。一方、公的な会議での発言や、市の広報に掲載してもらうための文章などは、相当に改まった場面です。趣味の集まりでの会話や、学校の保護者会で出している会報の原稿などは、その中間にあるものと言えるでしょう。
言葉遣いの場面について、改まったものかうち解けたものかの度合いをどう意識するかは、相手、用件、場所、手段などによって変わってきます。どの程度の改まり度になるかは、それらを総合して判断することになります。問の、町内の人に配るお知らせは、改まった場面ではありますが、市の広報などに比べると、やや私的で狭い範囲にとどまるものですから、うち解けた性格も持ち合わせた場面と言えそうです。共通語を用いることを基調としながらも、場合によっては方言を交えることがあってもよい場面でしょう。
次に方言の言葉についてですが、いかにも方言らしく感じられる言葉もあれば、方言であることに気づきにくく、共通語として意識されがちな言葉もあります。例えば、西日本のある地域では、「雨が降っちょる」(雨が降っている)と言いますが、この言い方は、その地域でも方言であることが強く意識されているものです。一方、同じ地域では、「校区」という言葉も使いますが、これは、方言であることにほとんど気づかれていません。また、暖かいことをいう「ぬくい」などは、方言と意識している人も多いのですが、あまり意識していない人もあって、その中間的な言葉だと言えそうです。つまり、一口に方言の言葉と言っても、方言らしさには程度の違いがあるわけで、その度合いを生かして、場面の改まり度にふさわしい言葉を選択していくことが望まれるわけです。
特に改まった場面では、「降っちょる」のような、いかにも方言らしい言葉は、特別な場合以外は、避けた方が無難でしょう。しかし、町内の人に配るお知らせのような、改まり度がそれほど高くなく、ややうち解けた性格も合わせ持つ場面では、方言らしさがあまり感じられない言葉であれば、実は方言であっても、これを用いることに問題はないでしょう。「校区」という言葉は、それにあたります。むしろ、その地域の人になじみの薄い「学区」を使うよりも、「校区」を使う方が分かりやすくて望ましいと考えられます。現に、西日本の広い範囲で、新聞の地方版では「校区」という言葉を普通に使っています。これも、その地域では、改まった場面であっても「校区」を使うことが一般的である、という意識が反映しているものだと言えるでしょう。