なぜアメリカを「米国」と書くのですか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
日本人が幕末から明治初期にかけて、それまでの鎖国時代には限られていた中国語やオランダ語による書物や蘭学以外の、新しい西洋の学問や文化を、急速にしかも幅広く取り入れようとした時、先輩格の中国で行われた西洋の学問での取り入れ方が見本になりました。中国語、つまり日本人にとっての漢文に訳された西洋の文章・学問が最初に目に入り、やがて教科書や参考書となり、その表記方法が日本語の表記にも取り入れられました。それら漢訳洋書を起源とする西洋人名や地名は、もちろん漢字だけで書かれていました(例 : 亜当・須美須、亜富汗斯坦)。中には、日本語の漢字音では読みにくいものがあります。それらは中国ですでに音訳されていたものです(例 : 安特堤)。
この音訳の方法は中国語においてはすでに古く、中国語にとっての外来語、古代インド語が仏教思想とともに中国にもたらされた時、原語サンスクリットを中国漢字音によって「あて字」の方法で音訳した経験があったのです(例 : 「菩薩」「菩提」)。日本語をはじめて文字で書き表すのに、漢字の音訓を使った万葉仮名の方法も同じ原理です。
さて現代日本語では、外来語や動植物の名前をカタカナで書き表します。外来語の発音は本来の日本語や漢語にはないものが多く、周囲の語と性質が違っています。それまでの日本語の発音では言いにくかったり、耳慣れない発音であるのが外来語のひとつの特徴です。一方、例えば「サクラ」と書くと、「桜」や「さくら」とは異なる植物学上の品種名としての「サクラ」だと強く印象づけられます。品種名ではない「葉桜」「実桜」「夜桜」は「ハザクラ」「ミザクラ」「ヨザクラ」とは書かないのが普通です。
では、漢文のなかで、漢字で書かれた人名や地名は周囲に埋もれて読みにくかったでしょうか。漢文訓読の伝統的な学習方法のひとつで、また漢文の表し方でもあった、「朱引き」(人名には線を一本、地名には二本とか、人名は左、地名は右に線を一本あるいは二本引く、といったルール)があります。これは西洋の固有名詞に限ったことではなく、中国語の地名や人名にも引かれました。その名残で、漢文以外にも使われる場合がありました。
現在、外務省では漢字圏以外の相手国の名前を日本語で書く場合、カタカナで表記するのを原則としています。「亜米利加・亜墨利加・亜美利加」などと、紛らわしい区別をする必要はありません。一方、新聞や報道で、「米」「米国」「日米」「米ドル」などとしばしば目にします。これらは、意味を損なわずに文字数を減らすことができ、しかも複合語を作りやすいという漢語の特徴を生かしていると言えるでしょう。成り立ちとしては、他国と重複する頭文字「亜」をよけて二文字目をとったとも、「米利幹・米利賢・米利堅・米里賢」の頭文字に由来するとも考えられます。明治七年『民間雑誌』に小幡篤次郎の用例「米国」があります。日本では、「米国」が定着し、中国漢字音による「美国」は生き残りませんでした。また「亜国」「墨国」も他国との重複もあってか、用いられません。
用法や運用の経緯や、用いられる地域や社会背景によって、国ごとにその漢字表記の定着や認知、方法は多様です。例えば、ブラジルを表す頭文字は、伝統的に「巴(例 : 巴西)、白(例 : 白来斉耳)、武(例 : 武良尻)」もありましたが「伯剌西爾」などの「伯」がもっとも一般的で、熟語の場合も「日伯」などと「伯」の文字に定着しています。これは現在、日本でも日系社会でも共通のようです。
一方、現代シンガポールでは、シンガポールを表す「新加坡」が標準的ですが、一字の場合には伝統的な「星嘉坡」などから来る「星」が使われ、「日星」「星日」という言い方がされます。その語の日本国内での使用頻度も関連してか、このような使い分けは日本では、比較的知られていません。
(山田貞雄)