ことばの疑問

「五十音」の数はどうして五十ではないのですか

2022.01.04 山田貞雄

質問

「五十音」の実際の数は、五十ではありません。どうしてですか。また、いつどうやってできたのですか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。

五十音の数はどうして五十ではないのですか

回答

現代の五十音図は、『五十音図』風の仮名表・ローマ字表

小学校低学年でひらがなやカタカナを、さらに中学年でローマ字を習う際、縦横にアイウエオをならべた表が出てきます。一般には、この表を「五十音図」、そこにならんだ文字を「五十音」と呼ぶことが多いと思われます。その表や文字をみると、縦にならんだ五つの母音の段と、子音の別で横にならんだ合計十の行が、整然と配置されているように見えます。しかし、このアイウエオはちょうど五十個示されているかというと、実は空白になっていたり同じ文字が重複していたり、さらに最後に「ん」の文字が一つだけついて、けっしてアイウエオの総数は「五十」ではありません。この表は言い換えれば「『五十音図』風の仮名表・ローマ字表」ということができます。さらに場合によっては濁音や拗音ようおんを加えて、日本語の発音上の単位である音節をあらわしている場合もあります。

現代の五十音

本来の五十音図とは

では、本来の「五十音図」とは一体何でしょうか。「五十音図」という名称は、江戸時代の国学の祖、契沖けいちゅう元禄げんろく六(1693)年に著した「和字正濫鈔わじしょうらんしょう」にはじめて見えます。縦横の行(現在のア~オ「段」とア~ワ「行」)は同じ発音上の特徴が一貫している(「五音相通、同韻相通」)という説明のついた、ちょうど五十の音をあらわす文字がならんだ独特の音図です。ただし段や行の順は現在の五十音と同じです。これは、契沖の学んだ悉曇学しったんがく(仏教の原典がかかれた古代インドの言葉や文字に関する学問)に基づいて、日本語の音節の構造を示そうとしたものと思われます。国学では、物語や歌の言葉の語源や動詞の活用の説明に「同音相通、同韻相通」の理論が応用されました。

和字正濫鈔
国立国語研究所蔵『和字正濫鈔』 巻一、13ウ~14ウの表を『ことば研究館』にて一枚の図になるように加工した。( https://dglb01.ninjal.ac.jp/ninjaldl/show.php?title=wajisyoransyo&issue=1

国学以前の「五十音図」は、古くさかのぼり平安時代中期の写本『孔雀経音義くじゃくきょうおんぎ』(醍醐寺蔵)に付記された音図が最古と思われます。これにはア行とナ行がありません。段と行の順も現在の五十音図とは違っています。十一世紀初めの『金光明最勝王経音義こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ』(大東急文庫蔵)巻末の「五音又樣」が現在の五十音図と段の順が同じで、行のそろった最古のものです。

日本における音図の歴史

奈良時代から平安時代にかけては、漢詩をつくったり、漢詩に関する書物を輸入して読んだりすることが流行しました。漢詩を作る上の技法や研究のなかでは、「韻紐図いんちゅうず」といって、縦横に同じ音の特徴をもつ文字を配列した図が基礎理論をしめていました。このことから、日本の和歌においても、同じ韻を持つことばを関連づける(「韻をふむ」)ようになり、同じ母音をもつ音節の共通性が意識されるようになりました。

韻紐図(奈良時代~平安時代)

これと同時に奈良時代に日本にはじめて入った悉曇学が、平安時代にはおもに真言宗とともに盛んになりました。この悉曇学は、もと四世紀から六世紀のインドの古典語(梵語ぼんご)とその文字(梵字ぼんじ)に関する学問でした。中国ではインドから入った仏教の原典が翻訳されました。それにともなって、唐時代には悉曇学は語学として盛んに研究されるようになったのです。その梵字の文字一覧表そのものが「悉曇」とよばれ、母音と子音を区別した完全な音韻組織図をなしていました。

これが日本語の音韻に関する研究にも影響をあたえたと考えられます。例えば、「アイウエオ」という段の順が悉曇学の母音の順によっていること、日本語で区別のないア行とヤ行のイ、ア行とワ行のウについても、音図では漢字や梵字で書き分けているのは、日本語の音に関する特徴を、悉曇学によって整理し書き表そうとしたことを物語っています。また、日本の五十音図や五十音をしばしば「()(いん)」と呼んできたのは、日本語の音に関する特徴をとらえているといえます。

悉曇学が平安時代から盛んに

音図の子音の配列(「行」)については、古い音図で、行の順は一定ではなく、悉曇の子音と日本語の子音とが容易に対応しなかったのだと考えられます。

音図は、こうして十世紀から十一世紀にかけて作られたと思われ、かつて唱えられた七~八世紀の吉備真備きびのまきびが作者であるという説は現在では否定されています。漢字の発音を頭子音と韻で理解する漢字音研究(反切理論)のために音図を利用した僧侶(そうりょ)明覚みょうがくの『反音作法』が平安時代後期に成立したとされ,それ以前から音図が存在したと考えられます。作者については少なくとも仏教関係者であろうとだけ想像されます。

五十音図に「ん」が加わったのは明治以降

五十音の最後の「ん」は,平安時代後期には独立した文字で書かれるようになりましたが,音図の伝統からははずれており,明治以降「ん」を加えた五十音図が,仮名文字の配列と日本語の主な音節を網羅しているため,国語教育で利用されるようになりました。

(山田貞雄)

書いた人

山田貞雄

YAMADA Sadao
やまだ さだお●伝統的な日本語学(旧国語学)を勉強したのち、旧図書館情報大学では、写本と版本の二種によって、『竹取物語』を読みとく授業や、留学生のための日本語・日本事情を担当。その後、国語研究所では、「ことば(国語・日本語・言語)」に関する質問に回答してきました。日常の言語生活や個々人の言語感覚が、「ことば」のストレスにどう関わるか、そこに “言語の科学”は、どこまで貢献できるか、が、目下最大の興味の的です。

参考文献・おすすめ本・サイト

  • 馬渕和夫(1993)『五十音図の話』 大修館書店

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